スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた イーゴリ・マローズ(男)

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた イーゴリ・マローズ(男)
 第四中等学校11年生 シュクロフ町

 祖母の住むマリノフカが汚染のひどいところだということを、当時はまだ誰も知らなかった。そこにはずっと昔から、野生のナシの木があった。いつごろからあったのか誰も知らなかったが、それは祖母の庭に生えていた。

 その夏、マリノフカには、すでに放射能が舞い降りていた。しかし人々は、これから恐ろしい不幸が起こるなどと、思ってもみなかった。

 その木は、庭のほとんど三分の一を日陰にするので、村の人たちは何度もこの木を切り倒すように祖母に助言した。しかしその都度、祖母は断り、こう言った。「そんなことしちゃだめなんだよ。この昔、この木の下に、罪のない女の子の血が流されたんだから」と。

 遠い昔の農奴の悲しい死の伝説を知っている人はたくさんいたけれど、みんなそれを本当のことだと信じていたわけではない。だけど、私の祖母は信じていた。この驚くべき古木は、祖母にとっては聖なるものなのである。

 僕のいとこのナジェージュダは、このナシの木が好きだった。その年の夏休みにも彼女は祖母のところにやってきた。その夏は、蒸し暑く、沈んだ雰囲気だった。でもおばあちゃんのいるマリノフカは、とても美しかったし、広々としていた。ナジェージュダは夏中、祖母の菜園に滞在し、種蒔きなどの手伝いをした。また彼女は森へ行って、イチゴやキノコを集めたり、近くの川で日光浴や水遊びもしたりもした。

 ある日、地区のなんだかえらい人が来て、「村の土や水や空気はとてもきれいであります。ここは安心して住んでいただきたい」と言って帰って行った。だから村人たちは安心して住み続けた。

 大きく枝を張り、葉を茂らせたナシの木の下で、ナジェージュダは水彩画を描いた。彼女は画家になることを夢見て、美術研究所で勉強していた。彼女はその夏、とても美しくなった。15歳だった。少女からレディーになった。彼女は日記を書きはじめ、そこに秘密の想いや印象を書き残した。しかし、この日記には、その後腫瘍専門病院での苦しみが書かれることになる。彼女の日記に書かれたことは全て、言葉で言い表せないほど、僕を揺り動かした。とりわけ、最後の10日間分の内容はそうだった。何という希望、生への渇望、人間的な尊厳だろうか。何という悲劇、取り返しのつかないわざわいを感じていたのだろうか。今、この日記は僕の手元にある。僕はこの勇気と真の崇高さが記されたナジェージュダの日記の、最後の数日分をここに紹介したい。

3月1日
 第12号室の男の子たちが、春のお祝いを言いにやってきた。病室には、もうすぐ春が来るというのに、不幸な私や男の子たちがいた。通りにはまだ雪が残っていて、彼らは雪だるまをつくり、病院の大きなお盆にのせて私たちの病棟に持ってきてくれた。雪だるまはすばらしかった。それをつくったのは、トーリャに違いない。彼は彫刻家を夢見ていて、いつも粘土で何かをつくっているから。彼は化学治療のあと、ベッドから起きることを今日許されたばかりだ。トーリャは、みんなの気分を盛り上げようとしたのだ。「だって、春が始まったんだから!」その雪だるまのそばにはメッセージがあった。「女の子たちへ。みなさんにとって最後の雪です!」と。「なぜ最後なの? 本当に最後なの?」私たちは、ひとりまたひとりと泣きながらたずねた。

 雪だるまは少しずつ溶けた。それは私たちの涙で溶けてしまったように思えた。

3月2日
 今日、おばあちゃんが来てくれた。大好きな、大切なおばあちゃんだ。彼女は私の病気の原因は自分にあると思っている。おばあちゃんに大きなナシの木の伝説を話してとお願いした。その大木の木の下で空想するのが好きだった。だけど、そこはチェルノブイリの事故のあとは大きな原子炉になったみたいだった。

 絵に描くためにおばあちゃんの話を細かいところまで漏らさないように聞いた。おばあちゃんは静かにおだやかに話しはじめた。

 「昔々、農奴制があったころのことでした。金持ちの領主が、貧しいけれど美しい娘を好きになりました。そして力づくで娘を城に連れて来たのです。マリイカは ― この娘の名前ですが ― ずーっと、城の中で泣き悲しんでいました。ある日、この悲しい娘は、鍵番の青年の手助けで、彼と一緒に領主のもとから逃げることができました。しかし、領主の使用人たちは、隠れるところのない草原に彼らを追い詰めました。無慈悲な領主は激怒して叫びました。『お前が俺のものにならないというのなら、誰のものでもなくしてやる』と。領主はサーベルで娘に切りつけると、その不幸な逃亡者は大地に崩れるようにして倒れました。その罪のないマリイカの血が流れたところに、美しい野生のナシの木が生えたと言われています。……これが私がずっとナシの木を守ってきた理由なのよ。でも今はね、ナジェージュダちゃん、もうこのナシの木はなくなってしまったの。どこからかクレーン車が来て、このナシの木を根っこから引き抜いてしまったの。ナシの木のあったところには、セメントが流し込まれ、何かのマークがつけられたの。
 もうみんな村から出ていってしまったわ。私たちのマリノフカは、空っぽになってしまったの。死んでしまったのよ」

 おばあちゃんが帰る時、私には頼みたかったことがあった。私が死んだら、墓地に埋めないで欲しい。それが心配だ。美しい草原か白樺林がいい。お墓のそばにはリンゴかナシの木を植えて欲しい。でもそんなことを考えるのはいやだ! 草にはなりたくない。生きなければならない! 生き続ける! 病気に打ち克つ力が充分にある。そう感じる!

3月3日
 できるかぎり痛みをこらえている。おばあちゃんの肖像画が完成した。おかあさんが、この絵を見て感動し、「ナジェージュダ、お前にはすばらしい才能があるんだね!」と言った。主治医のタチアナ先生は、私に勇気があったから治療も成功したと言ってくれた。元気づけられた。神様お願いします。持ちこたえ、生き続ける力をお与えください。お願いします。

3月4日
 医者はよくなっているというのに、どうして体力が落ちているのだろう。どうして急に病棟がさわがしくなったのだろう。点滴のあと、この日記をつけている。どうしてほとんど良くなっていないのだろう。同じ病室の友だち、ガーリャ、ビーカ、ジーマが私を見るとき、何か悲しそうな目をする。今まで以上にひどく同情してくれているのがわかる。彼女たちも同じような境遇なのに。わかった、誰も人間の苦悩を見たくないからだ。だがどうしようもない。ここの病棟は満員になっている。タチアナ先生の話では3年前には、入院患者はほとんどいなかったそうだ。これらのことは全て、チェルノブイリ事故によるものなのだ。この不幸をもたらした犯人をここに連れて来て、この病棟にしばらくいさせたいものだ。自分のやったことの結果を見せつけたい。

 アンナ・アフマートバを読み始めた。「私は最後のときを生きている」というテーマで絵を描きたくなった。

3月5日
 10号室のワーニャちゃんが死んだ。大きな青い目をした金髪の男の子で、病棟のみんなから愛されていた。まだ7歳だった。彼はここに来る前に、ドイツに治療に行ったこともある。昨日、ワーニャちゃんは自分の誕生日のお祝いだからと、全員にキャラメルを配ってくれた。私たちもお祝いに病室に行ったら、とても喜んでくれたのに。神様、あなたはなぜ、みんなに平等に親切ではないのですか。どうしてワーニャちゃんが……。何の罪もないのに。

3月6日
 どんな痛みでも我慢できるようになった。おかあさんがその方法を教えてくれた。私の胸に、病院の入口に立ちつくす母親たちの姿を焼きつけることを考えついた。母親たちは、私たちより苦しんでいる。彼女たちを見ていると、我慢しなければならないと思い、希望を持たなければと思う。

 不幸をともにする仲間が、どんなに痛みと闘っているかを見たことがある。それは15歳のボーバのことだ。母親は医者のところに走り、医者は彼に痛み止めの注射をする。薬の効く間だけ苦しみのうめきは止まり、泣き声はやむ。今後この少年はどうなるのだろう。私たちはどうなるのだろう。

 私が思うには、チェルノブイリの惨事は、人間の理解をこえたもののひとつである。これは人間存在の合理性をおびやかし、その信頼を無理矢理奪い去るものにほかならない。

3月7日
 今日、デンマークの人道的支援組織の人が来た。この病室にも、ふわっとした金髪の女性が入ってきた。とても美しく、魅力的な人だった。私のそばに座り頭をなでると、彼女の目に涙があふれてきた。通訳の人の話では、数年前、彼女のひとり娘が交通事故で突然亡くなったそうである。この外国のお客さんは、身につけていた十字架のネックレスをはずし、私の首にかけてくれた。子どもに対する純粋な愛は世界中の母親、みな同じであることを感じた。

3月8日
 今日は祝日。机には、オレンジ、バナナ、ミモザ、アカシアの花束が置いてある。それには、詩が書いてある美しい絵はがきが添えてあった。

  望みは何かというと
  あなたがよくなりますように
  あなたに太陽が輝きますように
  あなたの心が愛されますように
  あなたのすべての災難と不幸が
  勝利にかわりますように

 私たちはいつも健康と幸福を望んでいる。ただ勝利だけを。恐ろしい病気に打ち克とう。幸福はあなたのものだ。

 病院の講堂で国際婦人デーの集会が開かれた。トーリャと一緒に踊った。でもそれは少しだけ。すぐ目がまわりはじめるからだ。友だちが私たちは美しいペアだと言ってくれた。

3月9日
 おとぎ話は終わった。再び悪くなった。こんなにひどくなったことは今までなかった。朝から虚脱感がひどく、けいれんが止まらないが、薬はもう効かなくなった。最も恐ろしいことは、髪だ。髪が束で抜ける。私の頭からなくなっていく。

 回診のときにタチアナ先生は、治療はもう完了したので、あとは自宅で体力を回復させなさいと言った。私は先生の目をのぞき込んだ。そして理解した。全てのことを!

3月10日
 おかあさんは私の好きなコートを持ってきてくれた。それを着れば私だってまだこんなにかわいいのに! 私はやっと歩いて、病棟のみんなにわかれを告げてまわった。さようなら、みんな、私を忘れないでね! 私もみんなのことを忘れないから!

 ナジェージュダは3月の終わりに死んだ。日記の最後はラテン語の「Vixi(生きた)」で結んであった。彼女は自分の人生で何ができたのだろうか。彼女は何を残したのだろうか。何枚かの風景画とスケッチと肖像画。それと大地に残る輝かしい足跡だ。

 みなさん、子どもたちの無言の叫びを聞いてください。援助に来てください。神も、悪魔もいらない。ただ人間の理性とやさしい心だけが、痛み、苦しみ抜いている大地を救うことができるのです。みんなで一緒になって初めて、チェルノブイリの恐ろしい被害を克服することができるのです。


スポンサーサイト

エコロジーの鐘が鳴る ナターリア・ヤスケービッチ(女)

エコロジーの鐘が鳴る ナターリア・ヤスケービッチ(女)
 第二中等学校10年生 ルニネツ町

 核による死が、花咲く地球の上に覆いかぶさっているなどと、一体誰が考えられるだろう。チェルノブイリ事故を人類への最終警告であると評したのは、アメリカの科学者ゲイルである。「ニガヨモギの星」に焼かれた人にとって、それに毒された水や空気で生活せざるをえなくなった人にとって、それは既に警告ではなく、苛酷な現実になってしまっている。チェルノブイリの悲劇は、時がたつにつれその強烈さを少しは失うことがあっても、他の不幸のように完全に記憶から消えてしまうものではない。「時は薬だ。時は相いれないもの同士を歩み寄らせる」と人は言う。だが本当にいつもそうだろうか。

 チェルノブイリの重荷を背負うことは、私たちにはきつすぎる。大惨事の日々から時がたつにつれて、事故の被害によって苦しむ人がますます多くなっている。「こんなことは以前にはなかった」そうだ。なかった。以前は母と一緒に森へ行き、キノコをとって火であぶり、塩をかけ、酢漬けにしたものだ。私のふるさとは、昔からキノコの里と言われていた。私は今でもヤマドリダケ、アンズダケ、ヤマイグチなどのいろいろなキノコの匂いや味を覚えている。だがそれもただの記憶となってしまった。科学者(放射能の安全性についての専門家)たちは、ほかの植物にくらべ、キノコは放射能の蓄積量が多いと警告している。たとえキノコを食べなくても、放射能はどんな食べ物にも含まれており口にしなければならない。いったい何を飲み、何を食べろというのだろうか。

 ある日、シュクリャロフスキーの詩が目にとまった。彼はベラルーシの出身で、放射性ストロンチウムや放射性セシウムで汚染されたプリピャチ川に何度となく行ったときのことを詩に書いた。

  庭にリンゴが落ちる音がひびきわたる
  原子の露の上を歩く
  リンゴや白いキノコのわきを
  さっさと通り過ぎる
  かがみもせず
  花や草に憎しみを抱きながら

 この詩を読むと、鳥肌が立つ。『花や草』という言葉は、人間の行い、つまりわれわれをチェルノブイリ事故に導いた社会の構造を表している。ある日、テレビで原子力エネルギー研究の指導的立場の人の演説を聞いたことがある。彼はこう言った。「科学には犠牲がつきものだ、その犠牲の中には、人間までもが含まれるのだ」と。ドストエフスキーが言ったように、赤ちゃんを殺すような人間が平気で暮らしているような社会の中に、調和などありえない。この科学者は野蛮な人間だと思う。私たちは科学のとりこにはならない。かといって無知のままでいるわけでもない。人類だけではなく、全ての生命に対して心を寄せるべきである。

 人のもみあげに白いものが現われたり、一晩中眠れないというのは、単に気分が滅入っているからではない。衰弱し、病気になっているのだ。私は楽観主義者ではない。全く反対に、何事にも暗たんたる思いを持つ悲観主義者なのである。痛みで見が覚めたとき、目に見えない獣の手で首を絞められるとき、鼻血が出るとき、絶望で泣きたくなるときには、特にこのような気分になる。このような『とき』を並べるだけでもう苦しくなり、我慢も限界に達する。しかし、私は我慢強くなった。母にこれ以上心配をかけたくない。母が私を見ているときの苦しみようは、とても表現できない。医者はもう私を治療できないでいる。そして、きまってこう言う。治療に「必要な薬がない」と。

 人が死ぬ。あの家、この家から、続々と死者が出ていると聞く。真冬の路上の蝶のように死んでいく。これは全部放射能のせいなにか、正確にはわからない。だが私が思うに、犯人はやはり放射能だ。本当にいまわしい放射能は親戚や知人、あるいは知らない人までも、次々に墓場に送っている。

 私の祖父が話していた。戦後、人々は生きるために一生懸命働いた。子どもや孫たちは、今、占領中は占領直後よりもっと恐ろしい時代に生きている。草原を走り回ることもできず、川で泳ぐこともできず、日光浴もできないと。祖父は放射能を恐れていない。「わしらは放射能を吸い、放射能を食べるさ。放射能はどこにでもあるんだ。年寄りにはどうってことはない。もう充分生きてきたし、いいことも悪いこともすべて体験済みさ。だけど、お前たちはどうなるのかね」

 エコロジーの鐘が鳴っている。苦痛と不安の鐘の音だ。苦痛とは大量の酸性雨がしみ込んだ私たちの大地であり、化学物質によって汚染された川であり、伐採されつくした森林等々である。不安とは次の世代のことである。鐘の音が鳴き、うめいている。その音が訴えるのは、チェルノブイリのことだ。この悲劇は全世界を揺り動かした。チェルノブイリの教訓は、徹底的に解明されなければならない。そうしてはじめて、そのようなことが二度と起きないように期待できるのである。1986年に「落ちてきた」ニガヨモギの星はいまだに悪業を続けている。人間は、自分たちが自然の一部であると認識しないかぎり、いつでもどこでも、このようなことが起こり続ける。自然への感謝がなければ、人は自然とともに滅びるだろう。今日、まだこのことを理解できていない人がいることは、大変残念である。

 私の今の希望は、ふるさとの町を出て、放射能のないところに住むことだ。私の姉のスベトラーナはブレスト音楽学校を卒業する。幸せなことに、彼女は私みたいに病気をしていない。

 この作文をベラルーシの偉大な詩人ヤンカ・クパーラの詩で終わりにしたい。

  祖父の大地を返してくれ 全能の神よ
  あなたが 天空と大地の皇帝であるならば


小麦の種をまくのが夢だ アレクセイ・ヒリコ(男)

小麦の種をまくのが夢だ アレクセイ・ヒリコ(男)
 ジリチ村 キーロフ地区

 不幸は巨大な鳥のように黒い翼をこの土地の上に広げ、次の犠牲者を探している。僕は最近までは、新聞やテレビや、そして母や祖母や先生の語る悲しい話からチェルノブイリの悲劇について知るだけだった。

 ここジリチはとても美しいところである。ここにはブルゴク領主の旧屋敷が、17世紀の記念建造物として残っている。村は巨大な菩提樹の古木や、堂々としたカシの木や、魔法使いのようなカエデの並木に囲まれている。ソフホーズの公園には、木の葉が騒がしく音を立てている。村では春になると明るいピンクの花が辺りに咲き乱れ、いい香りでいっぱいになる。花々は人々を喜ばせ、楽しませる。ここでは、夏はもっと美しい。小さなドバスナ川が、心地よい音を立てて僕たちのそばを流れている。僕はその川のひんやりと住んだ水で泳ぎ、川辺で日光浴をし、友だちと遊ぶのが大好きだ。特に洗礼者ヨハネ祭の日はとても楽しい。草原には大きな火がたかれ、少女たちは川面に花輪を流し、おばあさんたちは心のこもった歌を歌う。

 僕には父、母、兄弟姉妹がいる。僕はみんなが大好きだ。一番下のレーナが生まれたのは1993年の夏だった。彼女はとてもきれいで可愛い女の子だった。僕はよくレーナと遊び、彼女の子守りをした。だが、レーナは死んでしまった。まだ、たったの生後5か月だった。

 僕の家には不幸が居着いてしまった。父と兄たちの目は悲しみに染まってしまった。母が苦しみをこらえ、僕たちに涙を見せないようにしているのを見ると僕はたまらなくなる。母は穏やかで優しく、働き者だった。以前は楽天的で明るく、僕たちに冗談ばかり言っていた。

 僕には分かっている。僕たちの不幸の原因はチェルノブイリだ。レーナの病気は脳水腫(※)だと、母はボブイスクの病院で告げられた。僕たちはレーナのために小さな墓を作り、そのそばにモミの木を植えた。僕たちは度々そこへ行き、僕たちが彼女のことでいかに苦しんだか、そして、彼女をいかに愛しているかを話すのだ。


※脳水腫
 頭蓋内に異常に多量の髄液がたまって、頭が大きくなる病気。水頭症のこと。

 最近、僕の学校で健康診断が行われた。僕も検診を受け、甲状腺に異常があるといわれた。医療相談を受けるためにモギリョフの病院に送られた。健康診断の結果は正しかった。甲状腺肥大の第二期だった。何人かの友だちは第三期だと診断された。僕はよく頭痛がする。目も悪くなり、眼鏡をかけることになった。放射能の影響を低くするために、クルミ、オレンジ、バナナ、パイナップルなど外国の果物をとるように言われる。でも、そんなものがどこで手に入れられるというのか。

 2年前、僕たちのクラスは療養のためクリミヤに行った。僕はそこが大変気に入り、みんな目に見えて元気になった。今はもう、クリミヤへの旅行もない。療養所の利用券が手に入らないそうだ。いろんな困難があることは分かる。しかしただ一つ理解できないのは、なぜ僕たち子どもが一番苦しまなければならないのか、ということだ。

 僕は生きて学校を卒業したら、すでに2人の兄が通っているコルホーズの技術学校に入学したいと思っている。僕は農学者になってこの土地と運命を共にしたい。僕はこの広い大地を治療し、小麦の種をまくことを夢見ている。僕は社会に必要な人間になり、多くの苦しみを見てきたベラルーシのために働きたいと思っている。でも一体、僕の夢は実現するのだろうか。


ニガヨモギの香気 ナタリア・スジンナャ(女・16歳)

ニガヨモギの香気 ナタリア・スジンナャ(女・16歳)
 第一中等学校10年生 ルニネツ町

 ずいぶん昔に、ヒロシマ・ナガサキの話を聞かされたことがある。原爆の刺すような光に殺された人、壁に焼きつけられた人の影。地獄の灼熱の中で、生きながら苦しみもがいて死んでいったたくさんの人々。頭ではわかっていても、その本当の恐ろしさを私は理解していなかった。ヒロシマ・ナガサキの人々の苦しみや痛みを、はるか遠くの見知らぬ人のそれのように感じていた。ただ、「ヒロシマが、ここでなくてよかった」ぐらいに思っていた。

 ところが、その恐怖がこの国でも現実のものとなってしまった。

 当時8歳だった私には、何もわからなかった。どうしてクラスの子たちみんなで「ピオネール・キャンプ」にいかなくてはいけないのだろう。どうして大人はこんなに驚いているの。どうしてママたちは泣いているのかしら。

 キャンプにいる私たちのもとへ家族から送られてきた手紙には、外の果物や野菜をとって食べてはいけない、とか、イチゴやキノコを採ってはいけないということが書かれていた。それさえ、私たちにとっては、めずらしく、ただの興味の的でしかなかった。驚きはしても恐さなどこれっぽちもなかった。私たちは「チェルノブイリ」という言葉が何を意味するのか、ほとんどわかっていなかった。

 春、色とりどりに香しい花の咲き乱れていた大地は、今やニガヨモギにびっしりと覆われてしまった。事故は原子力発電所の誰かのミスで起こったという。すべてが一瞬にして変わってしまった。うららかな、陽のさんさんと降り注いだあの朝に。真っ黒な風が吹きすさび、ベラルーシの青く澄んだ瞳を、悲しみと痛みの影でくもらせてしまった。地球全体が、凍りつき、つぎの瞬間に、無言のまま揺るがした。時間もまた凍りついたように動かなくなった。私たちは何も教えてもらえなかった。気がついたときにはもう、間に合わなかった。すでに子どもたちは被曝しており、避難のためキャンプに送られ、村はまるごと引っ越して人っ子一人いなくなった。私たちのまわりがせわしく動き始めた。

 補償。学校の給食や企業で行くサナトリウムの費用は無料になっている。両親は給料以外にも手当を受けとっており、私たちはそれで暮らしている。たが、これで状況が少しでもよくなるのだろうか。子どもが授業中に気絶しなくなるのだろうか。白血病で死ぬ人がいなくなるというのだろうか。私たちのはれあがった甲状腺が元どおりになるとでもいうのだろうか。

 私たちは以前よりも深く考えるようになった。医者が人の生命を救おうと努力してみても、国家があらゆる補償を与えようとも、私たちから、チェルノブイリの刻印が消えることはない。サナトリウムに行ったところで、家に帰ってくるのだから同じことだ。私たちはこの土地に住み、ここでできる果実を食べる。どうすることもできない。私たちは自分たちの犯した取り返しのつかない過ちに、今もそしてこの先もずっと苦しみ続けるのだろう。私たちだけではない。その子どもも、孫もひ孫も、だ。

 なんということだろう。新聞は、私たちの体の状態をさまざまな事実と統計をならべて警告している。ありとあらゆる体の異常、白血病、甲状腺肥大、私たちの体で休みなく続く変化。私たちは自分たちだけではなく、知人や大切な人のことをも心配している。

 だが、それと同じくらいに私たちを脅かしているものがまだある。私たちのゆがんだ魂。心の永遠の痛み。

 このような悲劇にあっても、私たちは孤立しているわけではない。世界中の人々が私たちに救いの手をさしのべてくれている。親切な、心のやさしい、他人の不幸をわかってあげられる人がいるというのは、もちろんいいことだ。

 彼らは私たちを慰め、痛みをわかちあい、それを言葉だけでなく行動でも示してくれる。彼らは、私たちに必要な援助や、機器を送ってきてくれる。私たちは他国の人の善意に対してあつかましくなってしまったうえに、そのことを認めようとしない。自分の傷を見せびらかし、自分でしでかした過ちを世界に賠償しろといっている。私たちはいろんな国からの贈り物を平気な顔で受けとるようになってしまった。仕事も忘れ、資本主義世界からの好意に頼りきってしまっている。

 私たちの社会は、まるで巣の中のかよわいひな鳥だ。大きく口をあけ、餌をくれる母鳥を待っているのだ。仕事に精をだすかわりに、自らの欠陥を直すかわりに、他の国々の水準に追いつくかわりに、私たちはみな、無秩序な底なし沼に深くはまりこんでいっている。援助はあくまで援助である。他人の体で永久に寄生虫のように生きてゆくことはできない。自分の悲劇を売り物にするべきではない。このことを心がけないことには、私たちは文明人として生きることはできない。もちろん、私たちと彼らは同じではない。私たちは目に見えない壁にかこまれている。私たちの多くがニガヨモギを背負っているからだ。だからといって、街角でそれを大声でまくしたてるべきではない。わが民族は悲劇を他人に見せびらかせたりなどしない。私たちは自分の運命に慣れてしまったかのように生きている。だが、本当は、変えたくても変えられないからだまって苦しんでいるのだ。それでも、心の奥深くで、冷たい絶望感がふるえている。時に、絶望が頭をもたげると、私たちは空を見上げ、たずねる。「なんのために……」答えはない。

 私は、ある女の人の話を思いだす。仕事から帰ってきた彼女に、彼女のまだ幼い赤ちゃんがこう頼んだ。「ママ、キエフに連れてって。ぼく、死ぬ前に教会の鐘が見たい」

 「赤子の口は真理を話す」ということわざを思い起こす。世界は、何千もの人々がチェルノブイリの十字架にはりつけになり、何百万もの人々が毒によって殺されるその最期を、なす術もなくただ待っているのだろうか。そんなの間違っている。生きなくては。

 何をすべきか順序だてて考え、希望をもとう。このような状況にも屈しない人々がいる。科学者はテクノロジーを安全なものにしようとし、科学を人類に役立てようと努力している。医者は、限られた条件の中で、被害者一人一人を救おうとしている。私たちはこの人たちのほうに、未来のため、私たちの子どものために、以前の恵み豊かな大地を取り戻さなくてはならない。

 現在の社会は私たちにきびしい教訓を与えた。おのおのがこの教訓から自分のいちばん大切なものを見つけだし、そして、自分の運命の、生命の、この地球の主人は自分だと悟らなくてはいけない。手遅れになる前に、一歩ふみだそう。苦痛を口実に無気力や無関心になるのではなく、それをバネに、大きくふみだそう。誰も、二度とこの苦しみを味わわなくてすむように、この地球の人間と自然が再び毒におかされることのないよう努めよう。私たちのすばらしい地球を、ニガヨモギの香気だけがただよう、生命のない無限の砂漠に変えたくない。


地球の生きている花 スベトラーナ・シュリャク(女・13歳)

地球の生きている花 スベトラーナ・シュリャク(女・13歳)
 第一中等学校6年生 ルニネツ町

 人間は宇宙から地球に来たと、時々耳にする。地球は私たちの家である。その地球で生彩を放っているのは、子どもたち。子どもは地球の生きている花である。その彩りのない地球を想像することができるだろうか。いやできない。地球には元始より、子どもが生きていくための環境がつくられているのだ。

 それぞれの子どもにそれぞれの運命があり、それぞれの宿命がある。大切なのは、地球という家によい足跡を残し、両親がくれたよりよいものを、混乱のなかでも失わないことである。私の生命はつい最近始まった。13年前に。

  私たちの娘 スベトラーナちゃん
  あなたは開いたばかりの草の葉っぱ
  私たちの愛はあなたと一緒
  最初のかわいいお花ちゃん

 この未完成の詩は、幼な子キリストを抱く聖母マリアのように母が私を腕にだいている私の最初の写真に、母が書きつけたものだ。これはまるでイコン(※)のようだ。それは私の最も好きな写真だ。私はその写真を長い間ながめ、すばらしかった幼い日のことを思いだしている。そのとき私はまだ、人生がいかにすばらしいか、よく考えもしなかった。初めて春の地面に咲くか弱い花がやさしい太陽の光に包まれているように、私も両親の抱擁(愛情・優しさ)と愛に包まれていた。


※イコン
 板に描かれた宗教画

 だが、このか弱い花に、いまいましいチェルノブイリの雨がふりそそいだ。説明できないほどの恐怖と好奇心でいっぱいになり、私は大人たちの話しに耳をすまして、彼らの顔や目をじっと見た。特に、私をおびえさせたのは「棺桶代」という言葉だった。私は以前、祖父の葬儀のときにもこのおそろしい言葉を聞いたことがある。私はこのお金でお棺を買い、死ぬのだと思っていた。その当時私は死を少しも恐れず、神様や悪魔やあの世にあるもの全てを見るために、死にたいとさえ思っていた。

 チェルノブイリの最初の打撃は、今思いだすだけでも、とげのような氷のかけらで私の心臓を貫く。私は学校の式典の途中に気を失い、5分後に意識を取り戻した。母の顔は青ざめ、目は恐怖で琥珀色になっていた。耳にはこれからおこる悲劇を知らせる鐘の音が聞こえてきた。そのとき、私は7歳だった。いつのまにか頭痛があらわれ、関節が痛むようになった。甲状腺炎と診断された。お医者さんたちは「全てチェルノブイリによってあらわれた、破滅をもたらすニガヨモギのせいだ」と結論づけた。

 私の明日はどうなるのだろうか。病気になった人は全く別の、全く「特殊な」人になると思う。彼らは世界を違った目でみる。私は今、人生のほこりだらけの道を歩いているような気がする。私は病気のことを考えないことにしている。生命はすばらしい。毎日、新しい、未知のものをいっぱいもたらしてくれる。だが、道はセシウムとストロンチウムのほこりでいっぱいだ。

 夕方になると、ベッドに横になって、星をながめるのが好きだ。いつもほかの星の同じ年の女の子と出会うのを想像する。私は夢の中で、絶対に彼女に会えると信じている。その時、最初に私が頼みたいのは、地球の子どもに本当の子どもの生活を送れるようにしてほしいということだ。そしていっしょに手をとりあって、私たちの家であるこの地球を飛び回りたい。

 分からないように、赤ちゃんのところに飛んでいこう。神様は子どもの目を借りてものを言うそうだ。彼らの目に冷淡のままでいられる人はいるだろうか。子どもはみんな、手をとりあい、大人の目を見つめる-神様が見つめるように。そうしたら地球ではもう誰も決して、自分や子どもたちのために、壊滅的な被害をもたらす放射能など、考え出すことさえもないだろう。悲しみを運ぶ鳥は、その翼で、地球の誰にも触れはしないだろう。そして、永遠に、地球の生きている花は咲き続けるだろう。

プロフィール

子供たちのチェルノブイリ

Author:子供たちのチェルノブイリ
昔、こどもたちのチェルノブイリの作文集を選ぶボランティアをしました。この時の衝撃は今も心に残っています。
 連絡先
 ohanamoon@gmail.comまで

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。