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わたしたちはすべての子どもたちのために書く エレーナ・ジクノーバ(女16歳)

わたしたちはすべての子どもたちのために書く エレーナ・ジクノーバ(女16歳)
 第179熟練工養成学校生 ゴメリ州ゴメリ市

 第三の天使がラッパを吹いた。すると、松明のように燃えている大きな星
が、天から落ちてきて、川という川の三分の一と、その水源の上に落ちた。
 この星の名は「苦ヨモギ」といいい、水の三分の一が苦よもぎのように苦くな
ってそのために多くの人が死んだ。
 聖書「ヨハネの黙示録」より

 ※注 チェルノブイリ=ニガヨモギという意味がある

 チェルノブイリ~黒いできごと~。
 数百、数千、いや何百万という命が犠牲となった。
 この八年間、「チェルノブイリは20世紀の悲劇だ」と何度も耳にしてきた。
 悲劇が私の祖国、ベラルーシを襲ったのだ。

 数百にも及ぶベラルーシの村が荒廃してしまった。
 人々はそこから脱出した。
 もう誰も夜明けの鳥のさえずりを聞くことはない。
 もう誰も春になってコウノトリに出合うこともない。
 不気味な静けさだけが漂う。
 そして時々、風がその静寂をやぶる。

 かつては友人や親戚との人間関係をしっかりと結びつけていた家と家とを
結びつけていた小道は、雑草におおわれてしまった。
 川や湖には、魚がはねて泳いでいる。
 森にはいちごやきのこが生えている。
 しかし、その中にはすでに放射能が巣くっている。
 傷だらけのベラルーシの大地は、息もたえだえになってきている。
 その大地の上で、多くの娘や息子たちが命を落とした。


 四人に一人が被害を受けた・・・
 1986年4月26日に起きたことを何といったらいいのか。
 

 その日、放射能のちりで固められた不気味で恐ろしい黒雲が、風とともにや
ってきた。
 その時から地球は、破滅的な道を歩み始めた。
 始発駅はチェルノブイリ。
 行き先は、数千にのぼる町、村、川、湖だった。

 私はその暑くてほこりっぽい一日をぼんやりと覚えている。
 まだよく理解できていなかったので、普段と変わらない日をすごしていた。
 友達と一緒になわとびをしたり、ボールを追いかけたりして何の警戒もせずに。
 輝く4月の太陽、若草、青空が嬉しかった。
 私は八歳で、ようやく世界がわかりかけていた。
 学校には大好きな先生や数多くの友達がいた。
 はじめて本を読んだのもこのころだった。
 両親も祖母も祖父も私を愛してくれ、幼児期を悲しくするようなものは何も
なかった。

 そのうち、私は恐ろしい言葉を耳にする。
 「放射能」
 「チェルノブイリ」
 「爆発」
 私はまだ幼かったので、その奇妙な言葉を深く考えることはできなかったし、
両親がなぜ「外で遊んではいけません」と言うのかわからなかった。
 青々とした草や春の大地に放射能のちりが居残ったことを、私はどうして
知ることができただろう。

 もうひとつ、鉄道の駅でのことを思い出す。
 多くの子どもや大人が集まっていた。
 母親達は泣いていたが、なぜ泣いているのか理解できなかった。
 私たち先生と一緒にほかの町に行って、一ヶ月後には帰ってくるというのに。
  ベラルーシには多くの放射能汚染地区がある。
 それを避けるため、私たちは最初の2、3年は非汚染地区につれていって
もらった子どもたちは、心細さもあったが、援助してくれる人には感謝して
いた。

 時がたち、4年後にはじめて恐ろしい事実を知った。
 病気が始まったのだ。


 医者は悲劇的な通告をする。
 「あなたのお子さんは重病です。薬が必要です」と。
 そして次には、必要な薬を求め、療養のための場所を探さなくてはならない。
 新聞やテレビで、親が訴えはじめた。
 息子や娘の命を救ってくださいと。

 母親の苦痛を何で計れるのだろうか。
 私たちは毎日毎日「同情」とか「人間性」という言葉を耳にする。
 市場や道端で、必要不可欠なのをいいことにして、薬を何倍も高く売っている
人がいる。
 このような人には、人間性があるのだろうか。
 それでなくても子どもの治療をしたり野菜や果物を買うためには、たくさんの
給料が必要だというのに。

 子どもは未来の国民だとよく言われる。
 ベラルーシではいったいどうなるのだろうか。
 今、子どもは安全な食べ物をとることができないし、適正な価格で物を買うことも
できない。
 
 テレビの画面では、たて続けに広告が流されている。
 「甲状腺の病気にならないように」と。
 チェルノブイリの罪のない犠牲者や子どものことが忘れられていることが非
常に腹立たしい。
 私たちの世代の寿命が短くなることを考えると恐ろしい。

 私はよく将来のことを考える。 
 今、16歳だ。
 いつか誰かを愛し、誰かに愛されるだろう。
 幸せになりたい。
 だが、私に健康な子どもができるだろうか。
 これからどんな運命が待っているのだろうか。

 私は放射能汚染地域に住んでいる。
 放射能は目に見えない、匂いもない。
 しかし、すぐそばにいる。
 私は汚染された空気を吸い、ビタミンのかわりに放射能がたくさんつまった
果物を食べている。
 ジュースは原料がないために輸入ものだ。

 ベラルーシは火山の島のように、不幸な国になってしまった。
 それに加えて、国民の貧困化をもたらすような深刻な経済危機が襲っている。
 人々は絶望に陥っている。
 わたしたちみんなの願いはただ生き抜くことである。

 チェルノブイリの問題は半分忘れさられようとしている感じがする。
 作文のテーマは「私たちの運命のチェルノブイリ」だが、私はこの国のすべて
の子どもと大人のために書いている。

 私たちは誰かの怠慢で起こった事故の罪のない犠牲者である。
 現在、私たちは心の冷淡さに遭遇している。
 この8年で、私たちは多くの知人や親戚を亡くした。
 腫瘍センターに入院しているチェルノブイリゾーンの子ども達の映像を見る
たびに私の心は締め付けられる。

 ※チェルノブイリゾーンとは
 チェルノブイリ原発事故によって半径30キロの住民13万5千人が避難した。
 ゾーンから一歩外に出ると、そこは安全と言われたが、300キロ離れたところで
もひどい汚染地帯が見られる。30キロゾーン

 わが大地に襲いかかった不幸を作り出したのは大人なのだ。
 赤ちゃんの目は無言で問いかけている。
 「どうすればいいの?」と。

 チェルノブイリがなければ、わたしははるかに幸せだったはずだ。
 それは激しい突風のように、私の運命の中に押し入ってきた。
 もう平穏な生活には戻れない。
 将来の希望を考えることはできなくなった。
 親戚、同年齢の友達、そしてこの世に生まれてくる子どもたちへの不安を一
生かかえることになるだろう。
 私の唯一の望みは?と聞かれたら、こう答えるだろう。
地球という名の青い星で、1986年4月26日を絶対に繰り返さないでください


 
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プロフィール

子供たちのチェルノブイリ

Author:子供たちのチェルノブイリ
昔、こどもたちのチェルノブイリの作文集を選ぶボランティアをしました。この時の衝撃は今も心に残っています。
 連絡先
 ohanamoon@gmail.comまで

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