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茶さじ一杯のヨウ素 スベトラーナ・スコモロホワ(女)

茶さじ一杯のヨウ素 スベトラーナ・スコモロホワ(女)
 第十中等学校10年生 ゴメリ市

 ある日、私の美しいベラルーシの上に、チェルノブイリという黒い星が現れた。その黒い星は、人々の心に重くのしかかり、子どもたちの顔にひどい痛みを刻みつけた。1986年、私の大地に何が起こったの。神様、あなたはなぜこんなひどいことを許したのですか。ハティン(※)の死を告げる気味の悪い鐘の音が、ベラルーシの私たちには少なかったとでもいうのですか。それともいつかの血なまぐさい戦争で、ベラルーシの人々の死んだ数が少なかったとでもいうのでしょうか。木から吹き飛ばされた1枚の葉のように、チェルノブイリの風に押し流され、この世をかけずり回ってもどこにも行き場がない人々のことを、神様あなたはなぜ考えなかったのですか。


※ハティン
 ナチス、ドイツに破壊された村の名。今は記念公園になっている。

 打ち捨てられた農家、誰も居なくなってしまった集落がある。でも、それは忘れ去られているのではないのです。ここから出ていった人々は、黒くなってしまった建物や黒い大地、移住者の悲しげな顔や燃え尽きた炭のように暗い目を決して忘れることができないのです。そして、彼ら自身の黒いつらい心の痛みを……。

 神様、あなたが私たちと一緒にいてくれて、私たちからそっぽを向いてしまわないようにするには、一体何をすればよいのでしょう。

  夢を見ること。
  それは、気味の悪い夢だ。
  でも 神様は助けに来ない。

 わたしは小さい川のそばに立っている。古くて大きく枝をはった木。窓が壊れて、人の住んでいない黒い農家を見ていると、私の不安は大きくなる。村には人っ子一人いない。ただ人通りのない道で、風がほこりを巻き上げているだけである。空を見上げると灰色がかってくらい。あたりには底知れぬ静けさが漂っている。突如、遠くにうめき声のようなものが聞こえてきて、私は一層気味悪くなった。あれは何だ。私は不意に、人の魂の声だと気づく。彼らは、カモメのようにうめき泣き、また、泣いてうめいている。彼らにとって憩いや安息はない。人々はかつて、愛し合い、子どもを育て、働き、穀物を育てていた。しかし、今では見捨てられてしまった自分たちの生まれた家を、心静かに眺めることはできない。

 これは単なる夢だと、目を覚ました私は自分を落ちつかせた。しかし、これは単なる夢なのだろうか。私は、さっさと身支度をして学校へ行く。今日の授業は、物理、化学、文学、そして放射能の安全性である。授業では、白血病や死亡についての話はあるが、事故の悲劇自体の話はしない。たとえ話したとしても、果たして悲劇を十分に記述するための言葉があるだろうか。

 家に帰ると、私はカバンを投げ出し川のそばの公園に行く。ソシ川の岸辺に立って、ゆったりとした川の流れを眺め思い出している。「波は逆には流れない。流れと一緒に去ってしまうものだ」そう、あのときはもう戻ってこない。1986年の事故の時まで、私の心の中にあったなごやかなあの喜びは帰ってこない。

 私は、頭から離れられない考えから解放されたくて、図書館へ行く。そこで、最近発行されたベラルーシの詩人の本を頼んだ。司書が、私に渡してくれた本は「ニガヨモギの星(※)」というものだった。ここでもまた重苦しい考えから逃げられないことを予感しつつ、一番遠い隅の席に行って読み始めた。白血病で死んでいく小さなアリョーシャに同情して、私は泣いた。


※ニガヨモギの星
 聖書「ヨハネの黙示録」から取った題名。

 私はそれが起こった日のことをはっきりとは覚えていない。私にとって、それまでの4月の終わりはいつも楽しいものだった。というのは、4月の最後の日が私の誕生日だからである。私は誕生日まであと何日と指折り数えながら、羽が生えたようにうきうきと飛び回っていた。そのあとの日々もすばらしかった。太陽が輝き、栗の花は満開で、私たちはその下を軽いワンピースを着て走り回った。

 まもなく、雪崩のように、恐ろしい知らせが押し寄せてきた。避難だ。パニックが始まった。ゴメリは全滅したかのようだった。通りを見ていると、町には、父と母、祖父と祖母、それに私以外に誰もいないような気がしてくる。人々は歩かず、できるだけ外にいる時間を少なくするために走っていた。気温が高いにもかかわらず、家の換気用の小窓はしっかりと閉じられたままだ。

 「放射能」は人を殺す、恐ろしくて目に見えないものなのだ。

 しばらくして、私たちは、ヨウ素を飲まなければならない(※)と聞いた。ただ、どんなヨウ素をどうやって飲めばよいのか誰も知らなかった。いろんな専門家がそれぞれ違った助言をした。今では想像もできないことだが、薬局では両親は、小サジ一杯のヨウ素を1日に3回飲むように言われた。本当はたったの数滴でよいのだ。私にとって幸運だったのは、父が茶さじ一杯のヨウ素を水に溶かしたので、私の胃のやけどは、一緒に入院していた他の人ほどひどくなかったことだ。


※ヨウ素を飲まなければならない
 子どもの甲状腺に溜まる人工放射能ヨウ素131が蓄積される前に、甲状腺にヨウ素剤を満たす目的のために使われた。事故の起こる直前に飲ませるのが一番よいといわれているが、いつ事故が起こるかも分からず、また事前に飲ませ続けるとヨウ素過多症という病気にかかるため、その適切な使用は難しい。また、セシウム137、ストロンチウム90など、ヨウ素131以外の人工放射能の防護にはならない。

 誰もがこの放射能地獄から脱出したがっていた。鉄道の駅は大混乱になった。人々は列車を待って何日も座り続けていた。列車が来ると、人々はそれに向かって突進していった。祖母はそれを見て、戦争のころを思い出すといった。実際、まさに戦闘だった。命のための戦闘であり、親戚と自分の子どもの健康のための戦闘であった。

 学校の生徒はどんどん減っていった。担任の先生も私たちを見捨てて去った。そして、かわりの先生が来た。夏休みが始まると、母も休暇を取り、母と私はアナ・パへ行った。医者が私を南へ連れていくよう勧めたからだ。母はピオネール・キャンプの保母になり、そのキャンプで私たちは2か月を過ごした。私は太陽の光に当たることを禁じられていたので、海で泳いだり、黄金の砂浜に寝そべっている子どもたちがうらやましくてたまらなかった。私は浜辺で色々な色の石を集めたり、童話に出てくるようなお城を砂で作ったりしたかったのに。

 休暇のあとも、私は丈夫になったとは感じられず、いつもけだるく、学校も休みがちになった。2学期には1週間しか学校に行けなかった。大人たちは、私に何が起こったのか分からず、とても心配した。冬休みになると祖母は、彼女の妹がいるモスクワへ私を連れて行ってくれた。私たちは、そこで医科大学病院へ行った。大学病院では、私の血液の全面的な検査が行われた。私は病気であり、血液の成分の形が変わっていることが明らかになった。医者は、せめて1年間は今住んでいるところを出て、キャビアを食べ、新鮮なザクロジュースを飲むようにアドバイスした。彼のアドバイスは、私の家庭にとって不可能なことであった。

 故郷ゴメリに帰ると、私は州立病院に登録させられ、毎週のように検査をされた。なんと恐ろしい体験だったことか。病院へ行き、血をとられるのをじっと見ているのだ。音楽の授業の時、注射針で刺し傷だらけになっていた指がものすごく痛んだ。音楽学校をやめなくてはならなくなった。これは短い間のことだったから良かった。今、これまで耐えてきたことを振り返ると、悔しさと腹立たしさで胸がしめつけられるようだ。何人の子どもたちが、医者の怠慢や無知、専門技術の欠如で死んだのだろうか。彼らは、ここで何が起こっているのかを知らず、そのことを考えることさえしたくなかったのだ。

 悔しさで胸がいっぱいだ。多くの親戚や知人の命が消えていった。私の叔母と叔父、知り合いの若い女性が死んだ。私の父も病気がちである。彼は事故のあと、汚染地区へ出かけていき、住民に食料を供給する仕事に携わったからだ。

 八方ふさがりのこの恐ろしさから解放されるためには、何を食べて、何を飲めばよいのでしょう。

 まもなく母が帰ってくる。今日は「棺桶代」をもらう日だ。人々は汚染地区住民への補償金をこう呼んでいる。母は泣きながら帰ってきた。まだ35歳だった母の友人が死んだそうだ。母は、黒い服に着替えて墓地に向かった。その墓地はまもなく「過剰」のために閉鎖されると聞いている。黒ずんだ農家、黒い大地、他へ移っていった住民の悲しげな顔や燃え尽きた炭のような暗い目が思い出される。

 ニガヨモギの星、ここにヨモギは多くなかった。しかしそれでも、ニガヨモギの星はベラルーシの上空に現れ、全ての人々に苦しみを与えた。永久に免れることのできないであろう苦しみを。

  ふるさとの美しい風景よ。
  おまえは、私の悲しみ そして喜びだ。

 悲しみはもういらない。一滴だけの喜びでいい。私と私のベラルーシの人々の上に……。

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子供たちのチェルノブイリ

Author:子供たちのチェルノブイリ
昔、こどもたちのチェルノブイリの作文集を選ぶボランティアをしました。この時の衝撃は今も心に残っています。
 連絡先
 ohanamoon@gmail.comまで

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