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最後の授業のベル エレナ・クラジェンコ(女)

最後の授業のベル エレナ・クラジェンコ(女)
 グリニッツ中等学校10年生 モズィリ市

 チェルノブイリ。それは地球のほんの小さな点。しかし、1986年4月以降、世界中の人たちがこの地名を知ることになりました。

 私が幼いころ住んでいたベロベレージスカヤ・ルドニャ村は、チェルノブイリ原発の30キロゾーン内にあります。チェルノブイリ事故は、家族や多くの人々に苦痛をもたらしました。私は人々がどのようにして家を打ち捨てて出ていったのかを実際に自分の目で見てきたのです。

 私たちは生まれた家を捨て、非汚染地区に脱出するしかありませんでした。その後、多くの村人たちは色々な病気で入院し、何人かは死にました。

 私たちの村の習慣では、誰かが死ぬと最後のお別れをするために、どこにいようと集まってきて葬式を行います。今でも死者がでると、皆、脱出した村に帰ってきます。母なる大地へ埋葬をするために。そして埋葬がすむと、それぞれ自分の住んでいた土地へ立ち寄るのです。でもその土地は、いったい誰の土地なのでしょう。いまやそこには何もありません。家自体が埋葬されているのです。取り壊されなかった家も悲しい様相を見せています。窓は破れ、ドアは外され、家の中はすべて壊され、略奪され、垣根には雑草がおいしげっています。チェルノブイリの事故の前は、人々の話し声、笑い声、泣き声であふれていたのに、今は想像することもできません。

 チェルノブイリの悲劇は、ベラルーシ全体におよんでいます。今、私たちはグリッツという美しい村に住んでいます。快適な家も与えられました。しかし、私たちの村ではないのです。私は以前住んでいた自分の家に帰りたい、大好きだったペチカのある家にもどりたい。私は10年生です。学校にも通い、だんだんと新しい土地にも慣れてきました。しかし、ここでもチェルノブイリは私たちをつかんで離さないのです。

 1年前、新しく友だちになった同級生のマイヤちゃんが死に、学校の人たち全員で埋葬に参加しました。葬列が学校のそばを通った時のことです。突然、いつも授業開始の時に鳴らされるベルが鳴り始めました。アッラ校長先生が短かったマイヤちゃんの人生のために、最後の授業のベルを鳴らしたのです。

 彼女の死から1年が経ちました。マイヤちゃんとは今も一緒です。机も置いたままにしていますし、マイヤちゃんの誕生日には花束をつくって彼女に会いに行きます。チェルノブイリは、私たちの生活の中にしっかりと住み着きました。医者の検査データもこれを物語っています。ゲレンジック、モルダビア、ウラジーミル、キーロフ、グロドネン、アナバ……私たちは、療養のために数々の土地を訪れました。医者の診断では、11人の同級生のうち健康といえるのはたったの2人です。私たちの身体の全機能が慢性的な病気に犯されています。

 私は信じたいのです。私たちの世代が生き延び、いつかチェルノブイリの被害を取り除くことを、そして希望を未来へとつないでいけることを。

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子供たちのチェルノブイリ

Author:子供たちのチェルノブイリ
昔、こどもたちのチェルノブイリの作文集を選ぶボランティアをしました。この時の衝撃は今も心に残っています。
 連絡先
 ohanamoon@gmail.comまで

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