スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

殺されるまぎわの馬の悲鳴 ガリーナ・ポチェエンコ(女)

殺されるまぎわの馬の悲鳴 ガリーナ・ポチェエンコ(女)
 ホルメチ中等学校十一年生 レチツァ地区

 私は人々が避難した直後にゾーンに入って働いた、ある人の話を書きたい。以下は彼から聞いた話である。

 私は当時運転手として働いていた。

 ある日の朝、誰かが家のドアをたたいた。ドアを開けると、警察官の制服を着た背の高い太った男が立っていて、「あなたは◯◯さんですね」と尋ねた。

 「はい、そうです。私に何かご用ですか」

 「私たちと一緒に来てください。必要なものは全部持ってきてください。あなたを連行します」

 「どこへですか」私は気が動転した。

 「あとで分かるでしょう」

 私は、言われたとおり準備し、しばらくのちに出発した。

 「どこへ行こうとしているんですか」私はたびたび質問した。

 「まあ、出張だと思ってください。あるものを運ぶんですよ」

 目的地に着くと、ダンプカーが与えられ、朝まで休むように言われた。初めて来た場所だった。そう遠くないところに、座っている男たちの集団をみかけ、近づいて行った。私の目にはそれが不思議な光景に見えた。彼らはすわって、何かを飲んでいた。なんと、それは強い酒だった。そのすぐそばには、警察の車がとまっている。

 「何で酒なんか飲んでいるんだい。警察が隣にいるじゃないか」私は驚いて言った。彼らは私をどろんとした目で見上げ、

 「お前さん、たぶん新米だね」と言った。「まあ、こっちに来て座れよ。恥ずかしがらないで。あした、みんな、わかるさ」

 彼らの中には制服を着ているものもいた。相変わらずちんぷんかんぷんだった。

 翌朝、私の仕事についての説明があった。

 住人は誰もいなかった。この放射能ゾーンから出て行ってしまったのだ。彼らは長年の労働によってためた財産を投げ捨てて、脱出した。家は家具をそのままにして建っている。納屋には牛が鳴き、羊が鳴いていた。コルホーズの畜産場には家畜がそのまま残されていた。

 私と私の相棒たちの仕事は家畜を運び、殺すことだった。私たちが牛や豚を車で運び、崖のふちに降ろすと、そこに立っている軍服を着た人たちがすぐさま射殺するのであった。

 最初の夜、私は家畜の悲しい鳴き声と自動小銃の音が耳から離れず、なかなか寝つかれなかった。こんな恐ろしい光景は今まで一度も見たことがなかった。

 翌朝は、馬を運んでくるよう命令された。この日のことを、私は永久に忘れることができないだろう。

 馬が涙を流して泣くのを聞いたことがあるだろうか。めったにない光景だ。かれらは泣いた。号泣した。小さい子どものように。馬を荷台にあげると、かれらは運転席の上に頭を横たえる。まるでどうにかして体を安定させようとしているようだった。馬の惨めな号泣は私の魂を痛めつけた。かれらは崖から突き落とされ、骨は粉々になるのだ。私はたたずみ、両手で顔をおおい、大声をあげて泣いてしまった。私はそれまでそのように泣いたことは一度もなかった。火炎放射器が馬を焼いた。馬の苦痛を和らげるかも知れないが、それは地獄そのものだった。

 私は酒を浴びるように飲むようになってしまった。私はそこで働いた二週間の間に頭は真っ白になってしまい、妻でさえ私を分からなくなったくらいだった。私は死ぬまでこの大量殺りくを忘れられないだろう。夜になると、夢に現われる。悪夢は続いている。

 この話は私の心から離れず、三日もの間われに返ることができなかった。今でも耳元では「馬は運転席の上に頭を横たえる。まるでどうにかして体を安定させようとしているようだった」の言葉が響いている。私は彼の身になって考えたい。私はとてもつらい気分になり、彼の話の印象を詩に書いた。

  チェルノブイリ!
  おまえはどれだけの悲しみと泣き声を
  家々にもたらしたことか
  誰かが言った 「失敗だったのさ」
  誰かの心が痛む 誰かの
  このようなことは二度とあってはならぬ

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

子供たちのチェルノブイリ

Author:子供たちのチェルノブイリ
昔、こどもたちのチェルノブイリの作文集を選ぶボランティアをしました。この時の衝撃は今も心に残っています。
 連絡先
 ohanamoon@gmail.comまで

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。