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根が切り取られたのがくやしい ユーリア・トポルコーワ(女)

根が切り取られたのがくやしい ユーリア・トポルコーワ(女)
 モシュコフ中等学校10年生 クレッツ地区

 僕たちは同じ巣の鳥
 僕たちは世間にまきちらされた
   V・シェルコシートヌイ

 学校に入ったばかりの小さな女の子を想像してみてください。

 私はチェルノブイリ原発の事故をどんなふうに知ったのか、それだけは覚えていないのです。たしか二時限目が終わったとき、その日の授業がもうないことを知らされました。私たちはとても喜んでいて、なぜ先生が泣きはらした目をしているのか、なぜ外で歩いてはいけないのか、まったくわかりませんでした。

 次の日の朝から、今までになかったことがいろいろおこってきたのです。

 父は前の夜、帰ってきませんでした。父はたびたび電話をかけてきて、母と長いあいだ話していました。母は泣きながら、バッグに食料品や衣類を詰めているだけでした。夕方の9時、アパートの出入口にバスが来ました。私たちは部屋をでました。母は閉ざされたドアの前で頭をさげて、アパートにお別れをしました。ほかの出入口にもバスがとまっていて、子どもとお母さんたちが乗っていました。いつもと違ってとても静かでした。まもなく父が現れ、私たちにキッスをしてちょっと一緒にいただけで、またすぐどこかへ行ってしまったのです。そこに将軍と委員会(と母が言った)が来ました。彼は何か私たちに言って、大声で笑いました。ある女性は彼にひどく怒り、私たちを元気づけることはない、早く移送しろと怒鳴りつけました。

 どのようにバスが走ったか覚えていません。とても長くえんえんと続く道だったので、うとうとして、眠ってしまいました。母の話では、朝の3時すぎに着いたそうです。私たちは、今ではキエフの軍事学校の兵舎につれてこられたと知っていますが、そのときはただ、長い空っぽのホールを見ただけで、そこには二段ベッドがいくつかあるだけでした。母はどこかに行って、私たち用のマットレスと枕を探してきました。

 今は、私に起こったことは恐ろしいことであったことを知っています。でも、当時私はまだ小さかったので、全てがとても面白いものに見えました。熱湯がでないことさえも。巡回売店がくると、そこに行こうと私は母の袖を引っ張りましたが、母はなぜか行く必要はないといいました。私は一人で走っていきましたが、全てが面白く思われたのです。

 もう、父とはまる5日も会っていませんでした。兵士と将校が車でやってきたので、私たちが彼らに走り寄ると、追い払われました。腹が立ってたまりませんでした。それでも幼い私には、興奮することばかりだったのです。

 母は、戦争のときのように父を待っていた、と今になって言っています。その後、私たちのところに棒と箱のようなものをもった人たちが来ました。私たちの放射能汚染度を計るためです。そこで私たちは「光っている」から、風呂にいくよう言われました。なんておもしろいこと。

 当時の私たちへの援助を今、評価するのは難しいことです。私たちに保証金が支払われたことは知っています。そのお金で新しい家具を買いました。私たちはチェルノブイリ原発からたった7キロのところに住んでいて放射能の汚染がひどく、何も持ち出すことが許されなかったからです。でも私は、住民への施しみたいな援助は必要ないと思います。放射線医学センターに検査に行く必要も。どんな「援助」も父を甲状腺の手術から守ることはできませんでした。でも彼だけとは思えません。母は、自分の腫れ物はみんなチェルノブイリによるものだと考えています。このことについて、私は話したくありません。ただ、これが過ぎ去ってしまうことを信じたいだけなのです。

 私は、チェルノブイリがどんなに多くの人々の生活を、そして運命を変えてしまったか考えています。チェルノブイリは、私たちの大きな節目になりました。その前と後では、戦前、戦後ほどに。

 私の家族は引っ越しに慣れていましたので、汚染地区からやむをえず脱出したのではなく父の新しい任地に派遣されたのだと考えることもできますが、ほかの人にとってはどうでしょうか。自分の牛や豚、それに家や親戚の墓を捨てて、知らないところに疎開させられたおばあさんはどうなるのでしょう。70歳のおばあさんに新しい生活が始められるのでしょうか。彼女を、ふるさとの大地と過去に結びつけている木の根から切り離すようなものではないでしょうか。若いひとの場合はどうでしょう。生まれた場所、家の壁、そこで過ごした年月は、私たちにとってどうでもいいのでしょうか。私たちも木の根を切り離されてしまったのです。

 私は、なぜ、このようなことが起こってしまったのか、よく考えます。だれの罪なのでしょう。このことでの裁判があり、誰かが処罰されたのは知っています。でもこれはそんなに単純なことではありません。事故は偶然に起こったわけではありません。この事故を引き起こしたことで、大勢の犠牲者を生み出したのです。人の命は、私たちの国家のなかで最も価値のあるものではなくなってしまいました。人の命は、役人の自尊心と比べると無とおなじです。

 いま、すばらしい大地から人がいなくなってしまいました。もしかすると永遠にかもしれません。人々は苦悩し、病み続けています。誰が彼らを救うのでしょうか。誰もしてくれません。それぞれが、自分の問題を解決しなければならないのです。

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子供たちのチェルノブイリ

Author:子供たちのチェルノブイリ
昔、こどもたちのチェルノブイリの作文集を選ぶボランティアをしました。この時の衝撃は今も心に残っています。
 連絡先
 ohanamoon@gmail.comまで

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